コンプレックスの話

とある記事を読んで、高校時代のことを思い出しました。

 

中学三年に軽いいじめを受けたことがあり、それから引っ込み思案に、人間不信になりました。そのまま高校生になり、友達はそれなりにいますが、深く関わらないように、いつも一人で教室の隅で勉強していました。

 

ある日、担任の先生に卒業式のお手伝いを頼まれ、断れずに行きました。目の前に先生が名札を整理している最中、ぼくは邪魔しないように立ったまま何もしませんでした。そしたら、「もう少し積極的に手伝いなさい」とぼくのほうを見て言いました。

 

社会において、積極性を持つ人間は得すると本で読んだことがあります。先生も、生徒のためにアドバイスをしただけだと分かっていましたが、否定された気がしました。そして、その言葉は呪いのように、今でもぼくを苦しめています。

 

 

 

 

小さい頃から愛嬌がなく、いわゆる処世術的なことができません。社会不適合者であることも自覚があります。自己啓発本を読んで、頑張って変えようとしたこともありましたが、やはり本心と違ったことはできません。

 

そんなぼくにも変えられるか、居場所があるかと手探りしている中、このままじゃダメだと否定された気がしました。先生の優しい一言、「普通」に当てはまらないぼくに、まだ弱っているぼくには刃物のように強く深く刺さりました。

 

どうしてありのままの自分を受け入れてくれないだろう。成長というのは、「普通」になる、社会に合わせるというものなのか、ぼくにはわかりません。ただ、言葉の力、本を読まなくてもしみじみと感じました。

 

今でも、内向的というコンプレックスを抱えながら、優しく包んでくれる自分と居場所に出会うため、不器用なりに、手探りし続けています。